アーサー・エドワード・ウェイト/Arther Edward Waite

ウェイト・タロットの生みの親

代表作「タロット図解/The Pictorial Key to the Tarot」他多数

(敬称は原文のDr.Waite「ウェイト博士」に準じて)

1857年、米国で生まれ、アメリカ人の父親は彼が幼い頃死亡しました。

英国人の母親の旧姓はエマ・ロベル、夫を亡くしてから英国に戻り、ローマカトリック教会に改宗し、息子と娘をカトリック教徒として育てました。

さほど裕福ではなかったため、最初ウェイトは、ノースロンドンにある小さな私立学校で、そして13歳からはセントチャールズ・カレッジで学びました。事務員になるため退学して空き時間に詩を書きました。

妹の死がきっかけで、心霊研究に興味を持つようになり、21歳から大英博物館で読書にいそしみ、秘教の様々な教えを学んだのです。

30歳近くになって、エイダ・レイクマン(以降「ルカスタ」)と結婚し、娘が生まれました。

備考)その娘さんがシビル・ウェイト・・・のちに、U.S.Gamesにウェイト・タロットの版権を譲渡した女性。すでに他界しています。

黄金の夜明け団

ウェイト博士は。大英博物館でマッグレガー・メイザーズに出会ったのですが、(彼にここで会わなかった人がいただろうか? という一文が参考URLに存在します。)

ウェイトは彼のことを嫌っていました。
しかし、マッグレガーがモイナという女性と結婚してまもなく、ホーニマン博物館の近くのメイザースの家で、ウェイトとルカスタは黄金の夜明け団のイシス・ウラニアに入会しました。

ルカスタは関心を持たず、ウェイトもセカンド・オーダーまで進みませんでした。入団は失敗だったと幻滅していたのではないかと、周囲の人間は述べています。

周囲から脱会するように強く勧められましたが、1、2年後に友人のロバート・パーマー・トーマスによって戻るように説得されたと、ウェイトの自伝『生命と思考の影』(1938)に書かれています。

ウェイトは常に「神秘への道(The Path of the Mystic)」に傾倒しており、オカルト信者の信念とは一線を画するとと考えたため、メイザースとそりが合わず、元の「黄金の夜明け」団の雰囲気に溶け込めませんでした。

分裂後、イシス・ウラニアはべリッジ博士の率いる(元の教えに)忠実なイシス・テンプル派と、ステラ・マチューティナ※率いる反体制派に分かれ、そこからウェイトが率いる漠然とした「黄金の夜明け」団が生まれました。

Stella Matutina/ステラ・マチューティナ

ウィキペディアから転載 リンクもwikiに飛びます

黄金の夜明けの初期のハーメチックオーダーの伝統的なオカルトの教えの普及に捧げられた最初の魔法の秩序でした。もともと、ステラ・マチューティナの外部オーダーは、ミスティックローズまたはMRのオーダーとして知られていました。オカルト作家イスラエル・リガルディが黄金の夜明けの文書を一般に公開したとき、明らかにされたのはステラ・マチューティナの教えであり、元の秩序の教えではありませんでした。ステラ・マチューティナは、ジョン・ウィリアム・ブロディ・イネスとマクレガー・マザーズが率いるアルファ・エ・オメガA.E.ウェイトが率いるイシス・ウラニア寺院など、黄金の夜明けのハーメチックオーダーが断片化したいくつかの子集団のひとつでした。

フリーメイソン

この時期にウェイトは慎重な行動をとって、フリー・メイソンに入団。メイソンになりました。以前、グランドロッジの有力者が彼の研究に不快感を示したことがあったからでしょう。団では目立った活動をしておらず、階級も下のままでした。あくまでもウェイトにとっての「神秘への道」とは、カバラにおける求道であろうと言われるように、彼は研究に没頭しました。彼は同時にクリスチャンでありましたが、敬虔なクリスチャンというわけでもありませんでした。

タロット

黄金の夜明け団に及ぼしたウェイトの最も永く続いている影響は、彼の指導のもとで製造されたタロットでしょう。これは芸術家肌の敬虔な信者のパメラ・コールマン・スミスがウォルター・クレーンのスタイルを用いて制作したもので、デザインは「黄金の夜明け」団の解釈に基づいたものなので、クレーンのスタイルに完全に忠実なデザインではありませんが、今ではアール・ヌーヴォーの時代がかった雰囲気がある、という評価を受けているようです。

以下A.E.ウェイトの話し方についての抜粋。

ユーモアたっぷりの「キング・スウォード」(訳注:ペンネーム?)がアルト・マジック・ニュースグループに載せた、「アーサー・エドワード・ウェイトを理解するために」という一節があります。
普通の英語:「少年が歩いて店に行き、食パンを買いました。」
ウェイト:「ある時、とある場所で、少なくともこの話については信頼を置いてもいいと考えられる情報筋によると、たぶん成年になっていない一人の男性 (このように説明すれば、十分でしょう)、ぶらぶらと、食料を調達できると思われる商業的施設へと赴き、そこに着いて、金額は明らかにされていないが、通常の焼いた食品、一塊という言葉から察するに確認はできていないけれども、食パンを、さらにすべての実地的見地から、その用事のありきたりの性質と、他には交通手段として補助的運搬手段の説明がなかったことから、若年者に見合った限られた財政的配分から一斤購入したと思われますが、これ以上のことについては、数少ない事実に基づいて特定の結論を出すのは軽率といえるでしょう。」

ルカスタが亡くなった後しばらくして1924年にメアリー・ブロードベント・ショフィールド(ウナ・サラス)と再婚しました。ロンドンあるいは近郊で生涯のほとんどを過ごし、様々な出版社とつながりを持ちました。

『知られざる世界(The Unknown World)』という小雑誌の編集をしましたが、独自の著作とそれに伴う研究に没頭していったのです。

神智学、人智学との関わり

1910年頃、ウェイトは短期間「聖黄金の夜明け」団の会員だった女性秘書兼家政婦とペニーウェーン ロードのアールズコートに住みます。その秘書兼家政婦のモットーは、いみじくもVigilate(訳注:Be watchful、 ラテン語で「用心深くあれ」の意)だった、という話を聞きました。(実際はランド夫人という名前ですがイシス ・ウラニアの会員だったためオーダー名で確認できます)。

彼女は何から何まで、彼の世話をしました。この情報提供者の両親はケンシングトンに住み、熱心な会員でし たが、ウェイトたちはその両親と一緒に、大体3週間ごとに昼食を食べに来たそうです。ウェイトはぼんやりした 様子で、「Vigilate、私はからしが好きかな?」と聞き、彼女が答を教えなければならなかったそうです。(多分 最初の妻がまだ生きていたため、彼らの関係は家庭内不和を埋めるようなものだったと思われます。)

ウェイトの団体はH.コリソンのスタジオ(クレアヴィルグローブ27)で集合したのですが、奇妙なことに、 ここは後年。クエストソサエティ(そしてモイナのA.O.ロッジ)が集会した場所です。

ルドルフ・スタイナーが 1912年にロンドンに来た時、情報提供者の両親、コリソン、ほか約5人が、人智学が「黄金の夜明け」に取って 代わると信じ、ウェイトの元を離れました。しかしこのうちの何人かは後でフェルキンのメルリンロッジへ戻っ てきました。

ゴールデン・ドーン/黄金の夜明け団に及ぼしたウェイトの影響は、彼の自伝『命と思考の影(Shadows of Life and Thought)』(1938)にも表されているが、事実的な信頼性はありません。著書の年代としては、 『The Mysteries of Magic』 (1885)、から『The Life of Louis-Claude de Saint-Martin』(1939)までの幅が あります。

超越論的なものに関する膨大な数の本を次々と生み出し、他の作者が似たテーマについて書いた本の編集にも 携わり、彼自身の詩にもこだわりました。私の考えでは、彼の詩は価値のないもので、「安っぽい」という 野暮な形容詞が頭に浮かびます。

ウェイトとクロウリー

Dead Weight(訳注:自力で動けない者の意。ウェイト(WeightとWaite)が引っ掛けてある)という 冷やかしの死亡記事にも見られるように、『The Equinox』のほとんどの号で、クローリーは容赦なくウェイト の退屈でゆがんだ散文詩をもじっています。ウェイトのスタイルがあまりにくどく、論点にとらえどころがな いので、私としてはとにかく読み辛く、公平に彼の学識を評価できません。(本の題名にはいつも興味をそそ られますが、それだけがいい点なのです。) しかし彼ののんびりした長たらしさも、スピードを追い求める 時代には救いになるかもしれませんし、学者ぶったずるさでさえ魅力になる時がきているのかもしれません。


以上、タロットレッスンネット受講生専用ページから丸まる抜粋転載。

「Pictorial Key to the Tarot」他、回りくどく難解な博士の文体への痛烈な皮肉で、しめくくられておりますが、あますところなく。

どこでもウェイト博士の文書は読み辛いと言われます。

がしかし、彼がテーマにしている多くの文書が、シンボルや象徴についてといった、人間の意識と思想に挑戦するような分野なわけですよね!

アルカナの札一枚取り上げて 、ホワイトボードに「これが象徴することは、、」とひたすら文字で書き起こせばきりがなく。語るに尽きないそれ自体ですので。言語化というのがそもそも本末転倒的な行為となります、「 絵柄と図形と数と色彩とによる象徴学」を司る博士であるのがウェイト博士であるわけですから。

井上

追伸:ウェイトをAIで描いていただきました☆彡 タロットパラレルワールドの表紙を飾る予定?だったのですが、うーん、、どうしようかなですね。

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